くまお己書の地元飲み推進員会

くまお己書道場のくまおです。地元密着の酒場が大好き、昼飲みも好き。どうせ飲むなら地元で飲んで地元に金を落としたい。

五十歳 高血圧からの脳梗塞

これは、おっさんに突然ふりかかった脳梗塞からの入院ドキュメンタリーである。

 「人生五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て
     滅せぬ者のあるべきか」
  

 二〇一八年夏、この年の夏は熱かった酷暑であった。暑くてけだるい日が続く。やる気が出ない、新しいことに着手できない、問題を解決するための思考力が落ちている、思考がマイナス的思考で身体が重く気だるい感じだ。今年の夏は暑いからな、しょうがない。水分はこまめに摂るほうである。いつも二リットル入りのミネラルウオーターを冷蔵庫に欠かさないようにしいている。


 夫婦で自宅でお互いの仕事をしているのだが、昼飯はどうするかなどのコミュニケーションを日常的に自然と行っている。八月の末あたりだろうか妻に「なんか声がでてないよ」と言われたのは。自分ではあまり声が出ていないという自覚がない。夕食時には子供たちから、元気が無さそうなどと言われたのもこの時期だ。夕食時には毎日の晩酌、三五缶の発泡酒に、富士山麓というウイスキーハイボールという具合だ。そしてダラダラと飲み進めるうちに、ろれつが怪しくなり、ひゃっくりがではじめる。こんなことを毎晩繰り返していた。


 この晩酌中に娘から、「パパの後ろに誰かいるよ」と言われた時には少々ビビったが、そんなこともあるのかもと、厄除け大師さんにお祓いに行ったり、近所の霊視をしてくれるという先生に診てもらったりもした。最近調子が出ないのはこのせいか、くらいに思っていた。霊視の先生からは、教習所でバイクに乗っている人が見える、さらに倉庫でリアカーを引いている人が見えるとのことだ。なんのこっちゃ。翌日から成仏してもらうための供養を始めた。これについては成仏してくれただろうと勝手な自己判断をしている。

 

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こんな感じで周囲から見ても私の雰囲気はちょっといつもと違ったのだろう。
11月9日金曜日異変が起こる。朝普通に起きてカミさんと日常的な会話をする。カミさんに滑舌が悪いと言われる、この日は自分でもちょっとろれつが回りづらいなあと感じた。この頃には自分でも市の検診にでも行かなくちゃと思い検診日の予約までしていた。カミさんも心配になったようで、とりあえず検査に行ったほうが良いと勧め、CT検査の出来る病院をピックアップしてくれた。午前中ギリギリではあるが、一軒目の脳外科を訪ねた。入り口に本日の初診は終了したとの紙が張ってある。自分的にもなんとか検査だけでもしてほしいと思い、受付に直接聞いてみた。この時期は混むのだそうだ、検査を途中で入れ込めるか調べてくれたが、空は無く今日の検査はできないとのことだった。仕方なく自宅に戻ると、カミさんが別の病院を探してくれていた。ちょっと大きめの総合病院で脳神経外科の初診を受け付けてくれるそうだ、いってみることにする。


初診受付で書類を記入する、文字が上手く書けない、右手に力が入らない感じだ。書類を記入し、脳神経外科で呼ばれるのを待つ。


割と待たずに呼ばれた、脳神経外科の先生はこのろれつの回らない感じを確認、歩けるか、といった麻痺の状態を確認している。そして血圧測定、自動血圧計で測り血圧190以上あるのに患者の自覚症状が無いのは納得いかないようで、水銀血圧計で測り直すが変わりはない。そしてCTスキャンの検査をすることになる。検査のため待合で待つ。CT検査はわりとすぐに終了する、再び診察に呼ばれる、主治医ととしてはもっと詳しく見ないと分からないらしいので月曜日にMRI検査は出来るかと聞いてきた、しかし自分的には仕事が入っているので無理と答えようとすると、自分の命にかかわることだよと言われ、自分でもその通りだと納得し、月曜日のMRI検査の予約を入れその日は帰宅した。なんかいろいろまずいことになった感じはしてきた、帰宅途中のコンビニで最後の一本にするべく、たばこを捨てた。


実は翌日、土日はバンドのメンバーと温泉に一泊の予定だ。ちょっと具合が悪いことはメンバーにも伝えてある。翌朝土曜日には迎えに来てもらい、温泉に行くことにする。温泉に行く道中でも、メンバーからはしゃべり方おかしいだのいろいろ言われながらの旅となり、酒量の管理もされ、温泉入浴時の心配もされつつの旅となった。旅行中、ひゃくりが止まらなくなった、メンバーがネットかなんかで、止まらないひゃっくりについて調べたようだ、ひゃっくりが止まらないのは、脳梗塞など脳の病気の可能性もあるのだそうだ。昔の仲間から異変を告げられると、自分でも、ちゃんと検査してみようという気持ちになる。月曜日の検査には行こう。と決めた日曜日であった。